斜陽 太宰治 六-4

路傍の樹木の枝。葉の一枚も附(つ)いていない枝、ほそく鋭く夜空を突き刺していて、「木の枝って、美しいものですわねえ」 と思わずひとりごとのように言ったら、「うん、花と真黒い枝の調和が」 と少しうろたえたようにしておっしゃった。「いいえ、私、花…

斜陽 太宰治 六-3

がらがらと表の戸のあく音が聞えて、「先生、持ってまいりました」 という若い男の声がして、「何せ、うちの社長ったら、がっちりしていますからね、二万円と言ってねばったのですが、やっと一万円」「小切手か?」 と上原さんのしゃがれた声。「いいえ、現…

斜陽 太宰治 六-2

駅前の白石というおでんやは、すぐに見つかった。けれども、あのひとはいらっしゃらない。「阿佐ヶ谷ですよ、きっと。阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐにいらして、そうですね、一丁半かな? 金物屋さんがありますからね、そこから右へはいって、半丁かな? 柳や…

斜陽 太宰治 六-1

戦闘、開始。 いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はい…

斜陽 太宰治 五-4

「お縁側の沓脱石(くつぬぎいし)の上に、赤い縞(しま)のある女の蛇が、いるでしょう。見てごらん」 私はからだの寒くなるような気持で、つと立ってお縁側に出て、ガラス戸越しに、見ると、沓脱石の上に蛇が、秋の陽(ひ)を浴びて長くのびていた。私は、くらく…

斜陽 太宰治 五-3

私たちは、しばらく黙って、冬の川を見下(みおろ)していた。「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。バイロン」 と言い、それから、そのバイロンの詩句を原文で口早に誦(しょう)して、私のからだを軽く抱いた。 私は恥ずかしく、「ごめ…

斜陽 太宰治 五-2

私は立って、支那間へ行った。そうして、支那間の寝椅子(ねいす)をお座敷の縁側ちかくに移して、お母さまのお顔が見えるように腰かけた。やすんでいらっしゃるお母さまのお顔は、ちっとも病人らしくなかった。眼は美しく澄んでいるし、お顔色も生き生きして…

斜陽 太宰治 五-1

私は、ことしの夏、或る男のひとに、三つの手紙を差し上げたが、ご返事は無かった。どう考えても、私には、それより他(ほか)に生き方が無いと思われて、三つの手紙に、私のその胸のうちを書きしたため、岬(みさき)の尖端(せんたん)から怒濤(どとう)めがけて…

斜陽 太宰治 四-3

私、不良が好きなの。それも、札つきの不良が、すきなの。そうして私も、札つきの不良になりたいの。そうするよりほかに、私の生きかたが、無いような気がするの。あなたは、日本で一ばんの、札つきの不良でしょう。そうして、このごろはまた、たくさんのひ…

斜陽 太宰治 四-2

三十。女には、二十九までは乙女(おとめ)の匂(にお)いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の…

斜陽 太宰治 四-1

お手紙、書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていました。けれども、けさ、鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ、というイエスの言葉をふと思い出し、奇妙に元気が出て、お手紙を差し上げる事にしました。直治(なおじ)の姉でございます。お忘れかしら。お…

斜陽 太宰治 三-3

上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。縞(しま)の袷(あわせ)に、紺絣(こんがすり)のお羽織を召していらして、お年寄りのような、お若いような、いままで見た事もない奇獣のような、へんな初印象を私は受取った。「女房はいま、子供と、一緒に…

斜陽 太宰治 三-2

ここは、こんど直治の部屋になる筈で、四、五日前に私が、お母さまと相談して、下の農家の中井さんにお手伝いをたのみ、直治の洋服箪笥や机や本箱、また、蔵書やノートブックなど一ぱいつまった木の箱五つ六つ、とにかく昔、西片町のお家の直治のお部屋にあ…

斜陽 太宰治 三-1

どうしても、もう、とても、生きておられないような心細さ。これが、あの、不安、とかいう感情なのであろうか、胸に苦しい浪(なみ)が打ち寄せ、それはちょうど、夕立がすんだのちの空を、あわただしく白雲がつぎつぎと走って走り過ぎて行くように、私の心臓…

斜陽 太宰治 二-3

「御奉公って、女中の事?」「いいえ、叔父さまがね、ほら、あの、駒場こまばの」 と或る宮様のお名前を挙げて、「あの宮様なら、私たちとも血縁つづきだし、姫宮の家庭教師をかねて、御奉公にあがっても、かず子が、そんなに淋さびしく窮屈な思いをせずにす…

斜陽 太宰治 二-2

そんな面白い詩が、終戦直後の或(あ)る新聞に載っていたが、本当に、いま思い出してみても、さまざまの事があったような気がしながら、やはり、何も無かったと同じ様な気もする。私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死んだのに、そ…

斜陽 太宰治 二-1

蛇(へび)の卵の事があってから、十日ほど経ち、不吉な事がつづいて起り、いよいよお母さまの悲しみを深くさせ、そのお命を薄くさせた。 私が、火事を起しかけたのだ。 私が火事を起す。私の生涯(しょうがい)にそんなおそろしい事があろうとは、幼い時から今…

斜陽 太宰治 一-3

お母さまは、今まで私に向って一度だってこんな弱音をおっしゃった事が無かったし、また、こんなに烈(はげ)しくお泣きになっているところを私に見せた事も無かった。お父上がお亡くなりになった時も、また私がお嫁に行く時も、そして赤ちゃんをおなかにいれ…

斜陽 太宰治 一-2

蛇(へび)の話をしようかしら。その四、五日前の午後に、近所の子供たちが、お庭の垣(かき)の竹藪(たけやぶ)から、蛇の卵を十ばかり見つけて来たのである。 子供たちは、「蝮(まむし)の卵だ」 と言い張った。私はあの竹藪に蝮が十匹も生れては、うっかりお庭…

斜陽 太宰治 一-1

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」 と幽かすかな叫び声をお挙げになった。「髪の毛?」 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。「いいえ」 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお…

Kenji Miyazawa -The Restaurant of Many Orders 2

They hung their hats and overcoats on the nail nails, took off their shoes, and paced to the door. On the back of the door, they found"Tie pins, cuff links, glasses, purses, and other hardware. Tie pins, cuff links, glasses, glasses, walle…

Kenji Miyazawa -The Restaurant of Many Orders 1

Two young gentlemen, looking exactly like British soldiers, carrying shiny guns and two dogs that looked like polar bears, were walking through the thick foliage deep in the mountains, saying things like this.These mountains are really str…

注文の多い料理店 宮沢賢治 2

二人は帽子とオーバコートを釘くぎにかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはひりました。 扉の裏側には、「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡めがね、財布、その他金物類、 ことに尖とがつたものは、みんなこゝに置いてください」と書いてありました。…

注文の多い料理店 宮沢賢治 1

二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴか/\する鉄砲をかついで、白熊しろくまのやうな犬を二疋ひきつれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさ/\したとこを、こんなことを云いひながら、あるいてをりました。「ぜんたい、こゝらの山は怪…