注文の多い料理店 宮沢賢治 2
二人は帽子とオーバコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはひりました。
扉の裏側には、
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、
ことに尖つたものは、みんなこゝに置いてください」
と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちやんと口を開けて置いてありました。鍵まで添へてあつたのです。
「はゝあ、何かの料理に電気をつかふと見えるね。金気のものはあぶない。ことに尖つたものはあぶないと斯う云ふんだらう。」
「さうだらう。して見ると勘定は帰りにこゝで払ふのだらうか。」
「どうもさうらしい。」
「さうだ。きつと。」
二人はめがねをはづしたり、カフスボタンをとつたり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠をかけました。
すこし行きますとまた扉があつて、その前に硝子の壺が一つありました。扉には斯う書いてありました。
「壺のなかのクリームを顔や手足にすつかり塗つてください。」
みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。
「クリームをぬれといふのはどういふんだ。」
「これはね、外がひじやうに寒いだらう。室のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきてゐる。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
二人は壺のクリームを、顔に塗つて手に塗つてそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残つてゐましたから、それは二人ともめいめいこつそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。
それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
と書いてあつて、ちひさなクリームの壺がこゝにも置いてありました。
「さうさう、ぼくは耳には塗らなかつた。あぶなく耳にひゞを切らすとこだつた。こゝの主人はじつに用意周到だね。」
「あゝ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下ぢや仕方ないね。」
するとすぐその前に次の戸がありました。
「料理はもうすぐできます。
十五分とお待たせはいたしません。
すぐたべられます。
早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。
二人はその香水を、頭へぱちやぱちや振りかけました。
ところがその香水は、どうも酢のやうな匂がするのでした。
「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだらう。」
「まちがへたんだ。下女が風邪でも引いてまちがへて入れたんだ。」
二人は扉をあけて中にはひりました。
扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさ
んよくもみ込んでください。」
なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどといふこんどは二人ともぎよつとしてお互にクリームをたくさん塗つた顔を見合せました。
「どうもをかしいぜ。」
「ぼくもをかしいとおもふ。」
「沢山の注文といふのは、向ふがこつちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店といふのは、ぼくの考へるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とかういふことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるへだしてもうものが言へませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるへだして、もうものが言へませんでした。
「遁げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押さうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。
奥の方にはまだ一枚扉があつて、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあつて、
「いや、わざわざご苦労です。
大へん結構にできました。
さあさあおなかにおはひりください。」
と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきよろきよろ二つの青い眼玉がこつちをのぞいてゐます。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
ふたりは泣き出しました。
すると戸の中では、こそこそこんなことを云つてゐます。
「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないやうだよ。」
「あたりまへさ。親分の書きやうがまづいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
「どつちでもいゝよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉れやしないんだ。」
「それはさうだ。けれどももしこゝへあいつらがはひつて来なかつたら、それはぼくらの責任だぜ。」
「呼ばうか、呼ばう。おい、お客さん方、早くいらつしやい。いらつしやい。いらつしやい。お皿も洗つてありますし、菜つ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜つ葉をうまくとりあはせて、まつ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらつしやい。」
「へい、いらつしやい、いらつしやい。それともサラドはお嫌ひですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげませうか。とにかくはやくいらつしやい。」
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしやくしやの紙屑のやうになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるへ、声もなく泣きました。
中ではふつふつとわらつてまた叫んでゐます。
「いらつしやい、いらつしやい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるぢやありませんか。へい、たゞいま。ぢきもつてまゐります。さあ、早くいらつしやい。」
「早くいらつしやい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもつて、舌なめずりして、お客さま方を待つてゐられます。」
二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。
そのときうしろからいきなり、
「わん、わん、ぐわあ。」といふ声がして、あの白熊のやうな犬が二疋、扉をつきやぶつて室の中に飛び込んできました。鍵穴の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなつてしばらく室の中をくるくる廻つてゐましたが、また一声
「わん。」と高く吠えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸ひ込まれるやうに飛んで行きました。
その扉の向ふのまつくらやみのなかで、
「にやあお、くわあ、ごろごろ。」といふ声がして、それからがさがさ鳴りました。
室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の中に立つてゐました。
見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あつちの枝にぶらさがつたり、こつちの根もとにちらばつたりしてゐます。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
犬がふうとうなつて戻つてきました。
そしてうしろからは、
「旦那あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
二人は俄かに元気がついて
「おゝい、おゝい、こゝだぞ、早く来い。」と叫びました。
簔帽子をかぶつた専門の猟師が、草をざわざわ分けてやつてきました。
そこで二人はやつと安心しました。
そして猟師のもつてきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買つて東京に帰りました。
しかし、さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。