斜陽 太宰治 三-3

 上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。縞(しま)の袷(あわせ)に、紺絣(こんがすり)のお羽織を召していらして、お年寄りのような、お若いような、いままで見た事もない奇獣のような、へんな初印象を私は受取った。
「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに」
 すこし鼻声で、とぎれとぎれにそうおっしゃる。私を、奥さんのお友達とでも思いちがいしたらしかった。私が、直治の姉だと言う事を申し上げたら、上原さんは、ふん、と笑った。私は、なぜだか、ひやりとした。
「出ましょうか」
 そう言って、もう二重廻(にじゅうまわ)しをひっかけ、下駄箱(げたばこ)から新しい下駄を取り出しておはきになり、さっさとアパートの廊下を先に立って歩かれた。
 外は、初冬の夕暮。風が、つめたかった。隅田川(すみだがわ)から吹いて来る川風のような感じであった。上原さんは、その川風にさからうように、すこし右肩をあげて築地のほうに黙って歩いて行かれる。私は小走りに走りながら、その後を追った。
 東京劇場の裏手のビルの地下室にはいった。四、五組の客が、二十畳くらいの細長いお部屋で、それぞれ卓をはさんで、ひっそりお酒を飲んでいた。
 上原さんは、コップでお酒をお飲みになった。そうして、私にも別なコップを取り寄せて下さって、お酒をすすめた。私は、そのコップで二杯飲んだけれども、なんともなかった。
 上原さんは、お酒を飲み、煙草(たばこ)を吸い、そうしていつまでも黙っていた。私も、黙っていた。私はこんなところへ来たのは、生まれてはじめての事であったけれども、とても落ちつき、気分がよかった。
「お酒でも飲むといいんだけど」
「え?」
「いいえ、弟さん。アルコールのほうに転換するといいんですよ。僕も昔、麻薬中毒になった事があってね、あれは人が薄気味わるがってね、アルコールだって同じ様なものなんだが、アルコールのほうは、人は案外ゆるすんだ。弟さんを、酒飲みにしちゃいましょう。いいでしょう?」
「私、いちど、お酒飲みを見た事がありますわ。新年に、私が出掛けようとした時、うちの運転手の知合いの者が、自動車の助手席で、鬼のような真赤(まっか)な顔をして、ぐうぐう大いびきで眠っていましたの。私がおどろいて叫んだら、運転手が、これはお酒飲みで、仕様が無いんです、と言って、自動車からおろして肩にかついでどこかへ連れて行きましたの。骨が無いみたいにぐったりして、何だかそれでも、ぶつぶつ言っていて、私あの時、はじめてお酒飲みってものを見たのですけど、面白かったわ」
「僕だって、酒飲みです」
「あら、だって、違うんでしょう?」
「あなただって、酒飲みです」
「そんな事は、ありませんわ。私は、お酒飲みを見た事があるんですもの。まるで、違いますわ」
 上原さんは、はじめて楽しそうにお笑いになって、
「それでは、弟さんも、酒飲みにはなれないかも知れませんが、とにかく、酒を飲む人になったほうがいい。帰りましょう。おそくなると、困るんでしょう?」
「いいえ、かまわないんですの」
「いや、実は、こっちが窮屈でいけねえんだ。ねえさん! 会計!」
「うんと高いのでしょうか。少しなら、私、持っているんですけど」
「そう。そんなら、会計は、あなただ」
「足りないかも知れませんわ」
 私は、バッグの中を見て、お金がいくらあるかを上原さんに教えた。
「それだけあれば、もう二、三軒飲める。馬鹿にしてやがる」
 上原さんは顔をしかめておっしゃって、それから笑った。
「どこかへ、また、飲みにおいでになりますか?」
 と、おたずねしたら、まじめに首を振って、
「いや、もうたくさん。タキシーを拾ってあげますから、お帰りなさい」
 私たちは、地下室の暗い階段をのぼって行った。一歩さきにのぼって行く上原さんが、階段の中頃(なかごろ)で、くるりとこちら向きになり、素早く私にキスをした。私は唇(くちびる)を固く閉じたまま、それを受けた。
 べつに何も、上原さんをすきでなかったのに、それでも、その時から私に、あの「ひめごと」が出来てしまったのだ。かたかたかたと、上原さんは走って階段を上って行って、私は不思議な透明な気分で、ゆっくり上って、外へ出たら、川風が頬(ほお)にとても気持よかった。
 上原さんに、タキシーを拾っていただいて、私たちは黙ってわかれた。
 車にゆられながら、私は世間が急に海のようにひろくなったような気持がした。
「私には、恋人があるの」
 或(あ)る日、私は、夫からおこごとをいただいて淋しくなって、ふっとそう言った。
「知っています。細田でしょう? どうしても、思い切る事が出来ないのですか?」
 私は黙っていた。
 その問題が、何か気まずい事の起る度毎(たびごと)に、私たち夫婦の間に持ち出されるようになった。もうこれは、だめなんだ、と私は思った。ドレスの生地(きじ)を間違って裁断した時みたいに、もうその生地は縫い合せる事も出来ず、全部捨てて、また別の新しい生地の裁断にとりかからなければならぬ。
「まさか、その、おなかの子は」
 と或る夜、夫に言われた時には、私はあまりおそろしくて、がたがた震えた。いま思うと、私も夫も、若かったのだ。私は、恋も知らなかった。愛、さえ、わからなかった。私は、細田さまのおかきになる絵に夢中になって、あんなお方の奥さまになったら、どんなに、まあ、美しい日常生活を営むことが出来るでしょう、あんなよい趣味のお方と結婚するのでなければ、結婚なんて無意味だわ、と私は誰にでも言いふらしていたので、そのために、みんなに誤解されて、それでも私は、恋も愛もわからず、平気で細田さまを好きだという事を公言し、取消そうともしなかったので、へんにもつれて、その頃、私のおなかで眠っていた小さい赤ちゃんまで、夫の疑惑の的になったりして、誰ひとり離婚などあらわに言い出したお方もいなかったのに、いつのまにやら周囲が白々しくなっていって、私は附き添いのお関さんと一緒に里のお母さまのところに帰って、それから、赤ちゃんが死んで生れて、私は病気になって寝込んで、もう、山木との間は、それっきりになってしまったのだ。
 直治は、私が離婚になったという事に、何か責任みたいなものを感じたのか、僕は死ぬよ、と言って、わあわあ声を挙げて、顔が腐ってしまうくらいに泣いた。私は弟に、薬屋の借りがいくらになっているのかたずねてみたら、それはおそろしいほどの金額であった。しかも、それは弟が実際の金額を言えなくて、嘘をついていたのがあとでわかった。あとで判明した実際の総額は、その時に弟が私に教えた金額の約三倍ちかくあったのである。
「私、上原さんに逢(あ)ったわ。いいお方ね。これから、上原さんと一緒にお酒を飲んで遊んだらどう? お酒って、とても安いものじゃないの。お酒のお金くらいだったら、私いつでもあなたにあげるわ。薬屋の払いの事も、心配しないで。どうにか、なるわよ」
 私が上原さんと逢って、そうして上原さんをいいお方だと言ったのが、弟を何だかひどく喜ばせたようで、弟は、その夜、私からお金をもらって早速、上原さんのところに遊びに行った。
 中毒は、それこそ、精神の病気なのかも知れない。私が上原さんをほめて、そうして弟から上原さんの著書を借りて読んで、偉いお方ねえ、などと言うと、弟は、姉さんなんかにはわかるもんか、と言って、それでも、とてもうれしそうに、じゃあこれを読んでごらん、とまた別の上原さんの著書を私に読ませ、そのうちに私も上原さんの小説を本気に読むようになって、二人であれこれ上原さんの噂(うわさ)などして、弟は毎晩のように上原さんのところに大威張りで遊びに行き、だんだん上原さんの御計画どおりにアルコールのほうへ転換していったようであった。薬屋の支払いに就いて、私がお母さまにこっそり相談したら、お母さまは、片手でお顔を覆(おお)いなさって、しばらくじっとしていらっしゃったが、やがてお顔を挙げて淋しそうにお笑いになり、考えたって仕様が無いわね、何年かかるかわからないけど、毎月すこしずつでもかえして行きましょうよ、とおっしゃった。
 あれから、もう、六年になる。
 夕顔。ああ、弟も苦しいのだろう。しかも、途(みち)がふさがって、何をどうすればいいのか、いまだに何もわかっていないのだろう。ただ、毎日、死ぬ気でお酒を飲んでいるのだろう。
 いっそ思い切って、本職の不良になってしまったらどうだろう。そうすると、弟もかえって楽になるのではあるまいか。
 不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。