斜陽 太宰治 七-2

 そうしてただもう、自分の家からお金や品物を持ち出して、ママやあなたを悲しませ、僕自身も、少しも楽しくなく、出版業など計画したのも、ただ、てれかくしのお体裁で、実はちっとも本気で無かったのです。本気でやってみたところで、ひとのごちそうにさえなれないような男が、金もうけなんて、とてもとても出来やしないのは、いくら僕が愚かでも、それくらいの事には気附いています。
 姉さん。
 僕たちは、貧乏になってしまいました。生きて在るうちは、ひとにごちそうしたいと思っていたのに、もう、ひとのごちそうにならなければ生きて行けなくなりました。
 姉さん。
 この上、僕は、なぜ生きていなければならねえのかね? もう、だめなんだ。僕は、死にます。らくに死ねる薬があるんです。兵隊の時に、手にいれて置いたのです。
 姉さんは美しく、(僕は美しい母と姉を誇りにしていました)そうして、賢明だから、僕は姉さんの事に就(つ)いては、なんにも心配していませぬ。心配などする資格さえ僕には有りません。どろぼうが被害者の身の上を思いやるみたいなもので、赤面するばかりです。きっと姉さんは、結婚なさって、子供が出来て、夫にたよって生き抜いて行くのではないかと僕は、思っているんです。
 姉さん。
 僕に、一つ、秘密があるんです。
 永いこと、秘めに秘めて、戦地にいても、そのひとの事を思いつめて、そのひとの夢を見て、目がさめて、泣きべそをかいた事も幾度あったか知れません。
 そのひとの名は、とても誰にも、口がくさっても言われないんです。僕は、いま死ぬのだから、せめて、姉さんにだけでも、はっきり言って置こうか、と思いましたが、やっぱり、どうにもおそろしくて、その名を言うことが出来ません。
 でも、僕は、その秘密を、絶対秘密のまま、とうとうこの世で誰にも打ち明けず、胸の奥に蔵して死んだならば、僕のからだが火葬にされても、胸の裏だけが生臭く焼け残るような気がして、不安でたまらないので、姉さんにだけ、遠まわしに、ぼんやり、フィクションみたいにして教えて置きます。フィクション、といっても、しかし、姉さんは、きっとすぐその相手のひとは誰だか、お気附きになる筈です。フィクションというよりは、ただ、仮名を用いる程度のごまかしなのですから。
 姉さんは、ご存じかな?
 姉さんはそのひとをご存じの筈ですが、しかし、おそらく、逢った事は無いでしょう。そのひとは、姉さんよりも、少し年上です。一重瞼(ひとえまぶた)で、目尻(めじり)が吊(つ)り上って、髪にパーマネントなどかけた事が無く、いつも強く、ひっつめ髪、とでもいうのかしら、そんな地味な髪形で、そうして、とても貧しい服装で、けれどもだらしない恰好(かっこう)ではなくて、いつもきちんと着附けて、清潔です。そのひとは、戦後あたらしいタッチの画をつぎつぎと発表して急に有名になった或る中年の洋画家の奥さんで、その洋画家の行いは、たいへん乱暴ですさんだものなのに、その奥さんは平気を装って、いつも優しく微笑(ほほえ)んで暮しているのです。
 僕は立ち上って、
「それでは、おいとま致します」
 そのひとも立ち上って、何の警戒も無く、僕の傍に歩み寄って、僕の顔を見上げ、
「なぜ?」
 と普通の音声で言い、本当に不審のように少し小首をかしげて、しばらく僕の眼を見つづけていました。そうして、そのひとの眼に、何の邪心も虚飾も無く、僕は女のひとと視線が合えば、うろたえて視線をはずしてしまうたちなのですが、その時だけは、みじんも含羞(はにかみ)を感じないで、二人の顔が一尺くらいの間隔で、六十秒もそれ以上もとてもいい気持で、そのひとの瞳(ひとみ)を見つめて、それからつい微笑んでしまって、
「でも、……」
「すぐ帰りますわよ」
 と、やはり、まじめな顔をして言います。
 正直、とは、こんな感じの表情を言うのではないかしら、とふと思いました。それは修身教科書くさい、いかめしい徳ではなくて、正直という言葉で表現せられた本来の徳は、こんな可愛らしいものではなかったのかしら、と考えました。
「またまいります」
「そう」
 はじめから終りまで、すべてみな何でもない会話です。僕が、或る夏の日の午後、その洋画家のアパートをたずねて行って、洋画家は不在で、けれどもすぐ帰る筈ですから、おあがりになってお待ちになったら? という奥さんの言葉に従って、部屋にあがって、三十分ばかり雑誌など読んで、帰って来そうも無かったから、立ち上って、おいとました、それだけの事だったのですが、僕は、その日のその時の、そのひとの瞳に、くるしい恋をしちゃったのです。
 高貴、とでも言ったらいいのかしら。僕の周囲の貴族の中には、ママはとにかく、あんな無警戒な「正直」な眼の表情の出来る人は、ひとりもいなかった事だけは断言できます。
 それから僕は、或る冬の夕方、そのひとのプロフィルに打たれた事があります。やはり、その洋画家のアパートで、洋画家の相手をさせられて、炬燵(こたつ)にはいって朝から酒を飲み、洋画家と共に、日本の所謂(いわゆる)文化人たちをクソミソに言い合って笑いころげ、やがて洋画家は倒れて大鼾(おおいびき)をかいて眠り、僕も横になってうとうとしていたら、ふわと毛布がかかり、僕は薄目をあけて見たら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、奥さんはお嬢さんを抱いてアパートの窓縁に、何事も無さそうにして腰をかけ、奥さんの端正なプロフィルが、水色の遠い夕空をバックにして、あのルネッサンスの頃のプロフィルの画のようにあざやかに輪郭が区切られ浮んで、僕にそっと毛布をかけて下さった親切は、それは何の色気でも無く、慾(よく)でも無く、ああ、ヒュウマニティという言葉はこんな時にこそ使用されて蘇生(そせい)する言葉なのではなかろうか、ひとの当然の侘(わ)びしい思いやりとして、ほとんど無意識みたいになされたもののように、絵とそっくりの静かな気配で、遠くを眺(なが)めていらっしゃった。
 僕は眼をつぶって、こいしく、こがれて狂うような気持ちになり、瞼(まぶた)の裏から涙があふれ出て、毛布を頭から引かぶってしまいました。
 姉さん。
 僕がその洋画家のところに遊びに行ったのは、それは、さいしょはその洋画家の作品の特異なタッチと、その底に秘められた熱狂的なパッションに、酔わされたせいでありましたが、しかし、附き合いの深くなるにつれて、そのひとの無教養、出鱈目(でたらめ)、きたならしさに興覚めて、そうして、それと反比例して、そのひとの奥さんの心情の美しさにひかれ、いいえ、正しい愛情のひとがこいしくて、したわしくて、奥さんの姿を一目見たくて、あの洋画家の家へ遊びに行くようになりました。
 あの洋画家の作品に、多少でも、芸術の高貴なにおい、とでもいったようなものが現れているとすれば、それは、奥さんの優しい心の反映ではなかろうかとさえ、僕はいまでは考えているんです。
 その洋画家は、僕はいまこそ、感じたままをはっきり言いますが、ただ大酒飲みで遊び好きの、巧妙な商人なのです。遊ぶ金がほしさに、ただ出鱈目にカンヴァスに絵具をぬたくって、流行の勢いに乗り、もったい振(ぶ)って高く売っているのです。あのひとの持っているのは、田舎者の図々(ずうずう)しさ、馬鹿(ばか)な自信、ずるい商才、それだけなんです。